--毎日がSpecial♪♪-- Everyday is the Special Day
2023-11-22T00:51:13+09:00
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いとしきものたちとの日々は毎日が特別な日♪
Excite Blog
出雲・松江の旅③ 観光三日目-2
http://moonlight7.exblog.jp/29750048/
2023-11-20T20:39:00+09:00
2023-11-22T00:51:13+09:00
2023-11-21T23:01:28+09:00
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旅あちこち
神魂神社を出てバス停のある『かんべの里』への道すがら、田圃の中に美しくもあり珍しい光景に出会いました。こんな形の稲干しは初めて見ました。それもそのはず、島根県のしかもこの地域にしか残されていない稲の干し方で、『ヨズクハデ』というそうです。
ヨズクはフクロウの事。フクロウが羽を休めてうずくまっているように見えることからの呼称だそうです。そう聞くと確かにそんな印象です。
こうした思いがけない美しいものに触れたり知れたり、それを教えてくださる地元の方との出会いがあったり。旅の醍醐味です。
教えてくださった方の紹介で、かんべの里の『かんべ茶屋』でお昼を摂りました。これがまた身体に優しいビーガン料理。ドイツ人の女性の方が日本人のスタッフの方と生き生き楽しそうに作り、サーブしていました。『かんべ茶屋』さんは曜日で作り手が変わる上にお店は11時半から2時までですから、これも出会いの妙ですね。 グリーンピーススープ、ドイツスタイルのポテトサラダ、ザワークラウト、玄米パテ、胡桃と野菜のパイ、ブラックアイビーンズサラダ、スイートポテトケーキ
手の込んだお料理もデザートも好みの味で、近所にこんなお店があったら嬉しいなぁ、、と思いながら美味しくいただきました。
【松江城】
午後からは、松江と言えば…のコースを辿ります。松江城はとても、素晴らしいお城でした。 現存する全国12天守のうちで・高さは姫路城、松本城に次ぐ3番目・平面規模で姫路城に次ぐ2番目・古さは5番目ということで、迫力があり堂々としています。
松江城、実は、1935年に国宝に指定されたものが1950年に重要文化財に変更され、2015年に再び国宝に指定されるという運命を辿っているのですね。再び国宝になる決め手となった一つが、天守の特徴的な 柱構造。天守建築に優れた技法を用いた事例であるという点だそうです。各階それぞれに、とても立派な柱が並ぶ様は本当に見事なまでに壮観です。歴史が今に伝わっている重みのようなものをヒシヒシと感じました。
堅牢で重厚感溢れる柱は全体で308本だそうです 天守から臨む宍道湖
天守からの眺めは格別のものがありますね
お城の重厚さに圧倒された余韻を楽しみつつ、武家屋敷方面への道をそぞろ歩きました。城下へ下っていく道のりが楽しめます。 あちこちにツワブキが一斉に咲いているのも印象的
【小泉八雲旧宅と小泉八雲記念館】
松江藩士の娘・小泉セツと結婚した八雲が念願だった松江城堀端の武家屋敷で暮らしたのは約5ヶ月だったことを知りました。もっと長く居た印象でしたが、八雲本人はこの家を終生愛したそうです。 庭園などは八雲が好んで眺めたそのままが残されていて、当時の様子を偲ぶことができました。
小泉八雲旧居に隣接して小泉八雲記念館があります。 八雲の人生を丁寧に追っていて、彼のことをほとんど知らなかった私にとっては驚き多い展示であると共に、その人生は胸に迫るものを感じました。直筆原稿や初版本、愛用の机・椅子・衣類(小さい!)など二百数十点が展示されています。小泉八雲を知る良い機会になったと思います。
この辺りは松江城の北側になり、「塩見縄手」と呼ばれているところです。武家屋敷や長屋門や塀が続き、城下町らしい面影たっぷりの通りとなっています。 武家屋敷も閉館間近のところざっとですが見て回れ、充実した三日間の最終日が暮れてゆきました。そして、宍道湖に夕陽が沈む頃だったので急いで宍道湖に移動したところ、着いたときには丁度陽が沈んだところでしたが、こんな光景が目の前に現れたのです。
シャボン玉おじさんが夕陽を背にパフォーマンスをしていたようで、もう最後の最後という感じでしたが、素敵なおまけをいただいた気分でこの旅を終えることができました。
旅の想い出をと綴りだしたらとても長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます♡]]>
出雲・松江の旅③ 観光三日目-1
http://moonlight7.exblog.jp/29748543/
2023-11-18T22:27:00+09:00
2023-11-21T23:02:15+09:00
2023-11-19T22:55:27+09:00
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旅あちこち
この日最初に訪れたのは、誰もが知っている、古事記に登場する『八岐大蛇』『素戔嗚尊(スサノオノミコト)』に関連ある神社です。
『八岐大蛇』は素戔嗚尊が櫛稲田姫を八岐大蛇から救うという、神話の一つですね。神社奥にある『佐久佐女の森』に八重垣を造り、そこに稲田姫を隠して八岐大蛇を退治した後に夫婦となります。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を
という歌を聞いたことがあるかと思いますが、これ、実は素盞嗚尊がその時に詠んだ、日本最初の和歌といわれています。 佐久佐女の森の入口には椿が一輪咲いて迎えてくれました
八重垣神社の奥にある佐久佐女の森は、八重垣の名の通り幾重もの垣根に囲まれています。この森を、小泉八雲は『神秘の森』と呼んだそうですが、八重垣神社の奥の院は、この垣根を奥へ奥へと進んで行き『鏡の池』の先にありました。
『鏡の池』はここに隠れた櫛稲田姫が飲料水にしたり自身の姿を映したりしたと伝えられていて、今尚、櫛稲田姫がここに佇んでいるかのようです。『神秘の森』と呼びたくなる所以かもしれません。
鏡の池ではこうして静かに池をのぞき込んでいる人が絶えません
ここを訪れる方は皆さん何やら静かに息を殺して真剣に池を見つめています。社務所でいただいた占い用紙を池に浮かべてコインを乗せ、『鏡の池の縁占い』をしているのです。用紙を水面に置き、その上に10円玉か100円玉を乗せて沈む早さでご縁の遅速を占うというもの。
私たちもやってみました。水に浮かべると浮き出る文字。そこに願いや想いを載せて祈ります。
なかなか沈まない? 沈まなかったらどうしよう? と不安になり出した頃、姉と私ほぼ同時に、7分経った頃に池の中に一気に吸い込まれるように沈んでゆきました。(やれやれ…ホッ… 笑)
池の奥にある稲田姫命をお祀りする「天鏡神社」があり、ありがとうございますの想いをお伝えして八重垣神社とお別れです。とても気持ち良い空気が流れる天鏡神社
【はにわロード】
ここから神魂神社までの2km弱の道のりは『はにわロード』という整備された道を行きます。
この道は自然石でできた茶色の舗装道路になっていて、ひたすらこの茶色の道を行けば神魂神社に辿り着くことになっています。標識や看板要らずで景観を壊さない素敵な道しるべです。
道すがら“はにわ”の模型が あちこちにあるのも、こっちだよ と案内してくれているかのようで、のんびりゆったり楽しんで歩けました。 毎日こんな所をお散歩できたらいいなぁ・・・と思わずにいられない光景が続きます。 まるで絵本の中のに迷い込んだかのよう
【国宝の神社 神魂神社】
周囲はごくありふれた長閑な田園風景。そんな中にある一の鳥居をくぐると二の鳥居までの真っ直ぐに伸びた道の左側には灯籠が、右側には桜の木。春はどんなにか美しいことでしょう。
真っ直ぐ続く参道の右側は桜並木の開花を見てみたい
この道は神様が通る道。そんな印象を受けます。飾らない清らかさと穏やかな空気に包まれていて心惹かれ、いつまでも居たくなる光景でした。
二の鳥居から先は緑濃い中を古い石段を上がってゆき、神聖な領域といった雰囲気です。 手水舎は苔むして、竹の柄杓は見たことのない形状の上に、置き場には突起が付いていて転がらないようになっています。こうした配慮に、参拝者を迎え入れてくださる温もりが伝わってきます。 振り向いて見上げると、急勾配の自然石のごつい階段がありました。左手の方にはなだらかな坂道があり「女坂」との表示。こちらは「男坂」ということですね。頑張ってこちらを登りました。これが見た目ほど大変ではなく、楽に登れたのが意外でした。登り切るとすぐ目の前に拝殿が構えています。
石段を上りきると迫りくる拝殿
こちらの神社は出雲国造の祖、天穂日命が降して創建したと伝えられるています。こじんまりとした拝殿と後方の本殿、数ある摂社はいかにも古色蒼然とした、歴史を感じさせるものです。 拝殿と本殿
本殿左脇の境内社 貴布袮神社と稲荷社
武勇社、蛭子社、荒神
現在の本殿は正平元年(1346年)の再建とのことで、心柱からその墨書もみつかっており、“現存する最古の大社造”で “国宝” に指定されています。この構え、潔いまでのシンプルさと古の香り漂う雰囲気は、日本人の心揺さぶるに足りるものと思います。 主祭神が女神なので千木は内削ぎ 神紋は亀甲に「有」の字 その周りの装飾は出雲らしく雲
歴史的価値が十分伝わってくる外観は白木造のように見えますが、実は彩られていた痕があるようです。扉内側や本殿内は今もその様子が残っているので、この目で実際に見てみたいものです。
その本殿内の壁には、流鏑馬神事や境内での相撲を観覧している様子が、天井には九つの瑞雲が五色に彩られているそうです。八雲の図のはずなのに九つの雲。それは出雲大社のものとそっくりだそうで、ただ、出雲大社の八雲の図は雲が七つとのこと。そこにどんな物語があるのか気になります。
また、神魂(かもす)というなんとも意味ありげな名称ですが、これは「神霊の鎮まり坐す所」つまり神坐所(かみますどころ)→「かんます」→「かもす」となったということです。
長い歴史の中でひたすら大事に守られてきて、いろいろな謂れや物語(まだまだあるのですが、書き切れません)が散りばめられているこの神魂神社、かなり心惹かれ、ここに来ることが出来たことは今回の旅で一番の収穫であり喜びとなりました。 国宝の前でパチリ! お気に入りの本殿の前で嬉しい私・・・
いよいよこの旅もこの日の午後を残すのみとなりました。
長くなりましたので、また 続きへ・・・
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出雲・松江の旅② 観光二日目
http://moonlight7.exblog.jp/29746351/
2023-11-13T22:37:00+09:00
2023-11-19T16:01:10+09:00
2023-11-16T23:18:24+09:00
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旅あちこち
宍道湖を眺めながら列車で移動
ここから美術館までは無料のシャトルバスが出ておりこれを利用、20分ほどの間に景色がだんだん変わってゆき、着いたのは思いがけない山の麓の周りは田圃という場所でした。
足立美術館の庭園は、アメリカの日本庭園専門誌で行った日本国内の日本庭園約1000か所を対象に実施した「ランキング」で、20年連続第一位に選ばれているそうです。あの京都の桂離宮を押さえて、です。
背景の山と溶けあった奥行きを感じる庭園
背景の山を借景に奥行きある景観が臨め、広い敷地をよくまあここまで美しく整え造りあげたものだと圧倒されます。この広さをいつどうやって手入れをしているのか、年間通してこの美しさ素晴らしさを保つのは大変なことなんだろうな…なんてことが頭をよぎると同時に頭が下がる思いです。このお庭を観ていると、アクセスが良いとは言えない場所ですが、だからこそ出来る庭園なのだなということがよく解ります。
この庭園を造った足立全康さんは「庭園もまた一幅の絵画である」という言葉を残しているのですが、すばらしい庭に囲まれた 素晴らしい美術館を建てることが若い頃からの夢だったということです。
足立全康さんの銅像と庭園日本一のプレート
「庭園もまた一幅の絵画である」を体現
「日本一の庭をつくるのが一生の仕事」「日本一ということは世界一」というのが口癖だったとか。いくつかの事業を興し、失敗したり成功したりしながら、情熱は消えることなく、最後にはその夢を実現させてしまうのですから本当に凄いことだと敬服します。
ただ、その庭はほとんどをガラス越に観るということは唯一残念に感じました。建物から建物への繋ぎ部分で外を通るときに、外気を吸いながらお庭を眺めることができると、やはりほっとします。せっかくのお庭なので、もっと外で観られる工夫があるといいのになぁ、、木陰に椅子などがあって景色を眺めながら、この場の空気を吸い込みながらぼ〜っと過ごせたら素敵でしょうね、とちょっと妄想(笑)
庭園美術館と言われているのはその通りで、庭園も美術もどちらも楽しめるわけですが、庭園がメインか、美術館としての展示がメインか。これに関しては、訪れる人の好みによるかもしれません。今回初めて訪れたので、これだけの広さを庭園として整えた凄さということも含め、やはり庭園の方に魅力を感じる私でした。
『魯山人館』には多くの作品があり、こちらも圧巻でした
が、横山大観の絵画や2020年に開設されたという『魯山人館』の作品の数々、日本が誇る素晴らしい作品をこのような環境で鑑賞できたことが何より、と感じ入ったのです。
夕方には松江に着き、お天気にも恵まれて宍道湖の夕陽を心ゆくまで楽しんだ第二日目でした。
ああ、佳き日です。
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出雲・松江の旅① 観光一日目-2
http://moonlight7.exblog.jp/29744941/
2023-11-12T00:08:00+09:00
2023-11-19T16:02:28+09:00
2023-11-15T00:26:34+09:00
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旅あちこち
出雲大社に来たら必見の、大社東側にある『島根県立出雲古代歴史博物館』へと向かうのですが…なんだか様子がおかしい・・・静かで人がいないのです。建物に近づくと「本日休館」の看板が!! え? 何が起こったの!! 前売り券の申込をしてあるのに!! ・・・ショックの余り暫く言葉が出てこず。・・・ ああ、失態です。
東京では美術館博物館の類は月曜日が休館日で、他の曜日が休館だなんて考えもせず来てしまいました(思い込みはいけません…)。前売り券は期間中ならいつでもOKで日にち指定ではありませんでした。が、行くのは月曜日じゃないから大丈夫ね、そう思い込んで確認しなかったのが敗因です。あぁ、常設展のあれもこれも見たかった! 特別企画展の『伊勢と出雲』も熱い熱い思いで期待していました! もう、涙でボロボロです。・・・まあ、でも、、とても残念ではありますが、こればかりはどうにもなりません。 気を取り直してお昼をと、友人に教わった『荒木屋』さんで割子蕎麦をいただきました。 午後はどうしましょう?日に何台も無い日御碕行きのバスはもう出てしまったし、他に行く当てもないし。とりあえずは一の鳥居に行ってみようと歩き出しました。鳥居手前まで来ると、鳥居外側で大規模工事中の様子が伺え、これまたがっかり、、。
【神様降臨? 日御碕へ】
そんなところに一台のタクシーがスーーッと目の前に停まり、ご婦人が降りました。近辺でほとんど見かけないタクシーです。これは!? と、前をズンズン進んでいた姉を大声で呼び止めて車に乗り込み、日御碕神社まで行くことにしました。帰りの足の話をしているうちに運転手さんとの交渉で、ぐるりと回って夕陽の時間までに稲佐の浜に戻ってくれることになり… あぁ、ラッキー! ようやく運が動き出したかしら?と思った瞬間です。
走り出して暫くすると、運転手さんも観光タクシーモードに切り替わったのか、「よければ、ちょっと停まって見て欲しいものがある」「神話の中で、大国主神の息子と天から降りてきた神様が喧嘩して、力比べした時に投げた岩が積まれた場所が見えるので」と停めてくれました。
それは、古事記の国譲りの場面のことです。高天原から降りてきたタケミカヅチが大国主神の息子タケミナカタに、「天照大御神の子孫が降臨するので国を譲れ」と迫ります。互いに譲らない二柱がそこで力比べをするのですが、力は互角で何度岩を投げ合っても同じ所に落ち、積み重なったのがこの『礫岩(つぶていわ)』なのだとか。本当にあったことなのか、と思わされてしまう面白い話と光景です。 海の中に積み重なっているのが礫岩 奥の浜から投げたとか?
礫岩を後にしてから、私がいくらか古事記に興味あると伝わったのか、運転手さん、嬉しそうで。日御碕神社を上から全景見える所でも停車してくださり、サービス旺盛で完全に観光タクシーモード(笑)
日御碕神社全景 これは素敵なところから観させていただきました
日本海の碧、松林の緑、そして「朱の神殿」が鮮やかで素晴らしい俯瞰です。知らないと観られなかった光景なのだと思うと、本当にありがたいこと。神社に着いてからも本殿と小高い所のお社、特別なお守りのことまで親切丁寧に解説してくださいました。なんだか、ワクワクが止まりません。いい運転手さんにご縁をいただき、これは出雲大社参拝のご利益でしょうか??
こちらの神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」があり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ぶそうです。 上:下の宮「日沉宮」 中・下:上の宮「神の宮」
美しい色彩に包まれた神社を後にして、灯台へも行きました。島根半島の最西端の断崖にそびえる『出雲日御碕灯台』です。石造灯台としては日本一の高さの白亜の灯台が、荒い日本海の碧をバックに凜と佇む姿が美しいです。
更にもう一つ案内したいと連れて行っていただいたのが『屏風岩』でした。大国主命と高天原からの使者である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)が、この岩陰で国譲りの話し合いをされたのだとか。
こうして古事記に関する観光巡りをすると、神代のお話しもとてもよく出来た面白いものだということを、出雲の空気の中で感じることができて楽しい時間でした。
【稲佐の浜の夕陽】
思わぬ巡り会いで、今回は諦めていた日御碕を観光でき、午後もとても充実したものになりました。予定以上のビューポイントを観ることが出来たりお話しを聞けたり。この日最後に素晴らしい時間を過ごすことができた稲佐の浜。満ち足りたところに更に、ハイライトの一つ、こんな夕陽で締めくくった第一日目でした。 夕陽を背に撮影する地元の方? 私もこんな気分でしたよ「夕陽に乾盃!」
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出雲・松江の旅① 観光一日目-1
http://moonlight7.exblog.jp/29743504/
2023-11-11T21:45:00+09:00
2023-11-19T16:03:15+09:00
2023-11-13T00:16:25+09:00
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旅あちこち
前日は日が落ち暗くなってから出雲に着き、この地の風景を見るのはお宿のカーテンを開くところから始まりました。暫くして目を上げるとこんな光景が! 雲間からは神々しいほどの光が降り注ぎ、出雲らしさ溢れる朝を迎えることができて、感動と期待で胸が高鳴りました。
大社すぐ傍の宿を出てからは、稲佐の浜まで歩いて行ってみました。途中、風が強いため海面が白い波で埋め尽くされている様子が見え、浜はどんなことになっていることかと思いながら1kmほどを行きます。
『稲佐の浜』は神話の国譲りの場面に出てくる場所です。旧暦の10月に出雲では『神在祭』があり全国の神様が出雲に集まるのですが、その八百万の神様が迎えられるのがこの浜です。迎えられた八百万の神は、ここからは『神迎の道』を通って大社境内まで進むのだそうです。
『神迎祭』が今年も11月22日に行われます。そしてその後一週間が『神在祭』
弁天島のある浜に出ると、波飛沫に乗った砂まで飛んで来るという、台風のような風
波打ち際に寄せては返す波間から砂を掬って、出雲大社へ戻ります。出雲大社は鳥居が四つあるのですが、稲佐の浜から訪ねた都合上、二の鳥居『勢溜の大鳥居』から境内へ。
二の鳥居の『勢溜の大鳥居』はその昔、多くの人々が勢いよく集い溜まる場所だったそう
祓戸神社や手水舎に立ち寄り、境内のあちこちにあるウサギの像や大国主神の『ムスビの御神像』にご対面しながら、ようやく四の鳥居『銅の鳥居』をくぐり拝殿に着きました。
ムスビの御神像:大国主神が “幸魂”と“奇魂” を両手を広げていただく姿は古事記の一場面
青銅の四の鳥居をくぐりいよいよ参拝
出雲大社では “二礼四拍手一礼” が参拝作法となっており、あちこちからいつもより多めの拍手の音が聞こえてきて、神妙な響きの中に新鮮さも感じます。拝殿後ろの大国主神が鎮座する本殿前にある「八つ足門」でも同じように参拝しました。
拝殿 八つ足門:拝殿の裏、本殿前にある瑞垣(みずがき)の門
八つ足門:美しく繊細な彫刻が施されています 門の前には古代の巨大本殿の柱跡
本殿の両サイドにはそれぞれ『十九社』という細長いお社があり、こちらは神在祭の間の八百万の神の宿泊所となっていて、その間は十九の扉全てが開かれるそうです。
本殿の裏に回り込むと八雲山があり、その岩の前に大国主神の先祖である素戔嗚尊を祀る『素戔(そが)の社』があります。凛とした澄んだ空気が気持ち良い所でした。実は、稲佐の浜で掬ってきた砂は、こちらの床下にある、素戔社で清められた砂と交換していただき家を清めるお守りとして持ち帰ります。盛り塩ならぬ盛り砂として? 素戔嗚尊にがっしりと力強く支え守られそうではありませんか。
出雲山を背にした素戔社
出雲大社での参拝はまだ終わりません。最後に本殿西側の参拝所から、本殿の中て西向きに鎮座されている大国主神の御神体と向き合う形で参拝します。そして、西側の十九社や末社。
本殿西側からの参拝所
十九社:境内の東西2か所にあり、神様の宿所として知られる末社
御祭神は、八百万の神々 19枚の扉の社であることから「十九社」
ここまでで、宿を出てから2時間半が経過していました。
最後に控えているのが、出雲大社と言えば、の神楽殿の大注連縄です。50年ほど前に来た時の思い出は松並木とここしか無い!というくらい、やはりここは特別なインパクトがあります。長さ13メートル、重さ5.2トンですからね。とにかく凄い!圧倒される!という以外の言葉が見つからないほどの、さすが日本一の注連縄。直に見て、その重量感や先人の思いや技術力を肌で感じることができる時間でした。
長くなりましたので
次回に続きます・・・
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身曾岐神社の薪能鑑賞 2023
http://moonlight7.exblog.jp/29658513/
2023-08-04T22:18:00+09:00
2023-08-06T13:03:45+09:00
2023-08-05T00:50:00+09:00
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旅あちこち
8月3日は、毎年、身曾岐神社の薪能鑑賞です。
コロナ蔓延などのため4年振り・・・
池の上に浮かぶように作られているこちらの能楽殿は『美』そのもの。舞台・橋懸り・鏡の間・貴人席と、能舞台本来の姿で屋外に建立された我が国屈指であるとか。その素晴らしさには10数年前に初めて訪れた時に心奪われました。ここで薪能が毎年開催されると知って、それ以来、できるだけ参加しています。
身曾岐神社での「八ヶ岳新能」は例大祭の前夜に行われる宵宮の神事ですので、まずは『清祓(きよはらい)の儀』が執り行われます。宮司さんと神官の方が神橋を渡って能楽殿にしずしずと入場。
静寂の中で宮司さんが 鬼門(北東) 能楽殿の建つ池(神池) 参加の観客に向かって弓を鳴らして矢を放つしぐさをしての払いの儀式により、場全体を清めた後には、本殿に向かって祝詞を奏上されます。会場全体がとても厳かな雰囲気に包まれ、そんな空気の中で演目が進行してゆくのです。
宝生流の辰巳満次郎さんの解説に続いて演じられたのは 狂 言:磁石(野村萬斎) 能物語:国栖(榎木孝明) 能 :国栖(宝生和英、辰巳満次郎) 狂言では、萬斎さんの滑舌の良さと巧みな語り口調と動きに見惚れ聞き惚れ...
狂言と能の間の夕闇が迫る頃には、この日のハイライトである二つ目の御神事の『篝火点火の儀』があります。
点火される松明の火がこの行事の場をぐるりと渡ってゆきます 厳かな点火の儀の瞬間です
先ほどは矢で射て払いを行いましたが、こちらは点灯した篝火で清め祓う儀式です。時間の経過とともに暗くなった中で力強く、パチパチとはぜながら舞台をほの明るく照らし、篝火は能の幻想美をより一層際立たせます。
続く能物語は、これから能舞台で演じられる能の内容を、榎木孝明さんが科白や演出に沿って、現代語でなされる朗読劇です。それがいつしか能の場面に移ってゆく・・・という流れでした。
毎年、狂言1本、能2本演じられていたのですが、昨年から能も1本になり、演じられる能を榎木さんの朗読劇で紹介される形になっていました。それが好評で今年もこのスタイルになったとのこと。
確かにこの構成ですとこの後の能の舞台がとても解りやすかったです。でも、であるならば・・・ごめんなさい!!辰巳満次郎さんの解説タイムでの能の部分の解説は不用な気が...個人的には、そう思えるのでした(実はこの長い解説タイムが後に影響することに)
能の『国栖』は、壬申の乱で大海人皇子が吉野川に逃れた先が舞台となっています。
-------------------古代のカリスマ「天武天皇」となる大海人皇子のまだ若い頃のこと。
逃れた先の国栖という地で、結果として占いのようになったある出来事から『吉』の兆しが読み取れ、というところで大友皇子側の追っ手がやって来ます。がこれを退散させると、その夜中に天女や蔵王権現が現れて、天武天皇の御代を護り寿ぐ舞を舞う・・・-------------------
後半のシテである蔵王権現の出で立ちは今回、髪、面、衣装、それぞれが通常のものではなく、特殊演出されていてとても風格あり美しく、その重厚さに圧倒されました。天女の舞がかなり長く、私の個人的な我が儘で勝手な要望(汗)としては、蔵王権現の方をもっともっと拝見していたかった・・・という思いを抱きながらのお開きとなりました。 進行してゆく舞台の全てが池に映り込み、それを心ゆくまで観ることが出来る素晴らしい座席での鑑賞でした。舞台と鏡の間をつなぐ橋懸りを往き来する様子もじっくりと観察することもできました。
能舞台の下が池というのは、光も音も水面で反射させて舞台に届ける、照明設備や音響設備のようなものなのだそうです。能楽師や謡の声、囃子方の笛や大鼓小鼓の音などを思った以上にに遠くまで届けることができるのだとか。池は見た目の美しさの他に、そんな機能まであったのですね!
因みに、能舞台の下が池では無いという場合は白い玉砂利が敷かれているのですが、こちらは光は反射しても音は吸収してしまうということで、池の上に能舞台あるというのは、実は、本格的な能舞台の造りなのだということを知りました。 何度も通っている身曾岐神社の薪能鑑賞の中でも今回は まさかの一番左端 の席。しかも舞台からとても距離があるということで、どんな鑑賞になることか...と当日までとても気がかりでした。
でも、舞台をほぼ真横からのような一番左側から観るという位置とはいえ、最前列。池がすぐ目の前の座席。ということで、あんなことこんなこと諸々を、新鮮な驚きや感動でで心ゆくまで堪能でき、本当に素晴らしい夢のような夜になったのです。終わりよければ全て良し・・・ですね。]]>
《久しぶりの京都旅記録》一日目 その2
http://moonlight7.exblog.jp/28938174/
2021-10-19T23:30:00+09:00
2021-10-29T12:19:48+09:00
2021-10-27T19:57:39+09:00
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旅あちこち
< 智 積 院 >
三十三間堂、養源院のほど近くには、智積院があります。ここは長谷川等伯の『楓図』、その息子久蔵の『桜図』、他にも長谷川一派の障壁画を収蔵していることで有名なお寺です。もう何度も来ている所ですが、やはりあの国宝の障壁画を見ずに通り過ぎることはできません。
収蔵庫の入口で先客とすれ違い、中に入ると誰もいませんでした。寂しい反面、この絢爛豪華な国宝に一人囲まれてなんてラッキー‼︎ と心の中で正直な声が。というのも、前回来た時は大勢の来訪者の中を縫うように、慌ただしくささっとしか観られなかったものですから。
入口の解説ボタンを押すとゆったりした声で館内の作品が順に解説されます。これを二回聴きながら順繰りに観て、後は『楓図』「桜図』の前で正座して魅入っていました。
等伯の楓図と久蔵の桜図 (撮影禁止ですので智積院HPより)
画力が父を超えると言われたほどの天才絵師久蔵が『桜図』を描いたのは24歳の時。ですが、完成した翌年に久蔵は亡くなってしまいます。
長谷川等伯は石川県七尾の生まれ。武家出身ながら染物屋に養子に出され、そこで絵の手ほどきを受け仏画を描いていました。養父母が亡くなってから絵師として成功したいと京都に出ます。そこで扇面絵師となった等伯が、狩野派と対立しながらも時間をかけ苦労や努力を重ね大成し、息子も立派な絵師となりました。
秀吉から命を受け二人揃って傑作を書き上げたすぐ後に息子を亡くしたのです。等伯の胸中はいかばかりだったでしょう。この障壁画を前にすると、いつも胸が熱くなります。
満開の桜の花びら一つひとつが胡粉を何度も塗り重ねて描かれている桜図ですが、もう、かなりその胡粉が剥がれ落ちています。満開の桜が散ってしまったかのような目の前にある『桜図』。久蔵の命が儚く散った様とどうしてもリンクしてしまいます。
10年ほど前に訪れた時に、御住職が同業御家族を案内されて収蔵庫にみえた時のこと。御住職が照明を落としました。すると、この『桜図』の桜がまるで夜桜のように暗い中にボーッと浮かび上がり、その幻想的な光景に息を呑みました。とてもとても美しかったです。
きっと、こんな風に夜桜に見えることも想定して胡粉を厚く塗ったのでしょうね、としか思えませんでした。そんなことを思い出しながら暫くぼーっと眺めていましたが、この時期だからこそ持てた時間だと思います。また良い想い出が一つ増えました。 名勝の庭園が講堂の前に広がっています
< 清 水 寺 >
時間があったので、清水寺まで足を運びました。着いた頃は既に日が落ちる前。ちょっと駆け足になります。参道である産寧坂まで来ると、まだまだ人通りは少ないものの、ようやく観光地らしい雰囲気になりました。山門の前では何組もの人達が、修学旅行生の幾つものグループが、あちこちで記念撮影を楽しんでいます。 三門の周りにはそれなりの数の観光客がみえました
振り返ると夕焼けの気配が
世界遺産に登録された清水寺は『清水の舞台』があまりにも有名です。本来は能や舞を仏様に奉納するための場所で、この舞台は本堂から突き出ていて、その高さ18mとか。
奥宮の方に何やら大勢の人が… 。実はこの時間に清水寺に来たのは、この場所に立つためでした。“夕焼けを背にした清水の舞台”を見てみたかったのです。そして、本堂と舞台を背景に記念撮影する撮影スポットが、奥宮なのです。 今日の天候では夕焼けは無理。そう思っていましたが、清水寺に着き西の空を見てニヤリとした私です。日が落ちてからの方が空が紅くなるのはわかっていながら、一人だったので暗くなる前にと、後ろ髪を引かれながらもこの場を後にしました。それでも、大満足の、久しぶりの京都旅の一日目でした。
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久しぶりの京都旅記録 一日目 その1
http://moonlight7.exblog.jp/28932907/
2021-10-19T22:30:00+09:00
2021-10-29T12:22:10+09:00
2021-10-23T20:33:33+09:00
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旅あちこち
京都に着くと、修学旅行の集団にいきなり出会い、生徒達は以前と同じように元気で、知らない土地に来たワクワク感にあふれています。大勢の人が集まるこうした光景からずいぶんと遠ざかっていたこと、2年弱もの間お籠もり生活をしてきたんだなということに改めて気付かされます。
そして、人出はまだまだ少なく、初日は三十三間堂〜養源院〜智積院〜清水寺と廻りましたが、清水寺の参道で徐々に賑わいが戻ってきているのを感じたくらいで、他は観光地の人通りの多さからはほど遠いものでした。でも今回はその恩恵を受けて訪問先は静かで、ゆっくりと国宝の建造物や美術品を鑑賞することができました。
<三十三間堂>
三十三間堂は昨年お正月に来た時には堂内は身動きできないほどで、通勤ラッシュアワーですか?と思うほどでしたので、人と観音様がとにかく沢山、という印象しかありません。が、今回は 二十八部衆や風神雷神像などは間近でいくらでも!! 状態です。丹念に一つひとつを心ゆくまで鑑賞しました。
千体の『千手観音立像』と一体の『千手観音菩薩座像』。それに加えて二十八部衆・風神・雷神がずらりと並ぶ様はとにもかくにも壮観な眺めです。そしてなんと、一昨日から11月末までの設置だという『秋雲壇』がありまして。
これは何かと言うと、通常の目の高さより1.2m上から立像群を見ることができるというものです。上って眺めてすぐに『これは凄い!!』と思わず口にしてしまいそうでした。少し上から見ただけでこんなに迫力が違うとは驚きです。通常も設置していればいいのに、と思いますが混雑時は邪魔になってしまうのでしょうね。
真ん中の千手観音菩薩座像の左右両側に50体×10列ずつの立像が並び千体になるわけですが。通常だと3列目くらいまではどんなお顔か確認できても後方はもう、お顔全体はわかりません。千体のお顔は一体一体違い、必ず一体は自分と似たお顔の観音様いると言われています。
ですが、秋雲壇に上って見ると、金色のまばゆいばかりのお顔が500、1000と、こちらを見ているように感じるわけです。これには興奮してしまいました。幾重にもなっている大勢の観音様とただ一人で(ほぼ貸し切り状態でした)対面しているのです。この圧倒的群像とそんな状況で向き合えるのですから無理もありません。自分と似た観音様は居るかしら? もはやそんな思いは吹き飛び、頭に十一面のお顔があり手が四十二本ある観音様が千体並んでいる様に、ただただ見とれるばかりでした。
自分の代を一代目として両親が二代、祖父母が三代……十代遡ってその数を合計するとご先祖の数は1022人。ここに居る(敢えて居ると表現します)観音様、観音菩薩様、28部衆、風神雷神を合わせると1031体。それはもう、十代遡ったご先祖さまがここにおられるようなものです。そう考えるとここに立っていると夥しい数のご先祖様に見守られているような気になるというものです。本当にありがたい圧倒的壮観さです。
堂内の両脇にある風神・雷神も今回は心ゆくまで鑑賞することができました。俵屋宗達の『風神・雷神図』は三十三間堂のこの風神・雷神像がモデルになったと言われています。
本堂の周りをぐるりと一周 西側廊下ではこの120mの距離を競う『通し矢』が行なわれてきました
<養 源 院>
あの有名な『風神・雷神図』を描いた俵屋宗達が無名の頃に描いた杉戸絵が三十三間堂の東向かいの養源院にあります。
その杉戸絵の『白象図』を見たいと思ったのは、原田マハさんの小説『風神雷神』に登場し妙に惹かれるものがあったからです。長い年月を経ても、描かれた当時のままの形でその場で観られるのも嬉しいですし。ただそれだけの思いでしたので、養源院のことを調べることなく出かけてゆきました。
以前、友人からは、“養源院ではなんとも怖い話をうかがった”と聞いてはいたのです。そのことがすっかり頭から抜け落ちておりまして。門前で、とある看板を見て“あ‼︎ これは…”と、不安な気持ちが頭をもたげることとなりました。
ギョッ…とした看板は写真枠外の右側にあります
『養源院』は浅井長政の院号だそうです。長政の娘である淀君が父の21回忌の供養のために秀吉に願い出て創建されました。その後、淀君が亡くなった際には、妹のお江が今度は淀君と秀頼を養源院で供養することとなります。お江の父や姉を供養したその大事な寺が創建25年後には落雷で焼失してしまいます。 そして、お江の願いでこの寺を徳川家のために再建して以来、徳川家の菩提所となるのですが、それが丁度400年前、1621年のこと。本来なら養源院さんでは今頃《再建400年》を祝う行事が行われていたことでしょう。 徳川家の美しい三つ葉葵紋に迎えられます
再建時には伏見城の遺構を利用しており、実はそれこそが“怖さ”の元だったのです。こちらは自由拝観ではなくお寺の方が案内しながら解説してくださいます。ただでさえ暗い造りの養源院さんで、更に暗い淵に沈み込んでゆくような思いがする史実のお話をうかがいました。その詳細は書きませんが、日本史好きな方はご存知かもしれませんね。気になる方は検索してみてください。“私は行った時に話を聞いて驚きたい!”という方はそのままそっと・・・ ・ ・
そんな訳で今日のどんよりした天候も相まってか、案内の方が “暗くてすみません”とおっしゃると、また暗澹たる思いが広がります。
そんな空気を和らげてくれるのが宗達の杉戸絵でした。当時の凄惨な亡くなり方をした方々の魂を慰めそっと包み込むような、優しい『白象図』。他に『唐獅子』『麒麟』という架空の生き物の杉戸絵があり、どこかユーモラスで温もりがあり、杉戸一面いっぱいにに描かれた奇抜な構図の中にも純真な無邪気ささえ感じます。 ↑ 堂内は撮影禁止ですので 絵はがきです
杉戸のそれぞれの配置や開閉時の見せ方などにも独創的な工夫があり、宗達が、平面ではなく菩提寺の空間を立体で捉えてこの仕事を創りあげたのが見て取れました。
波立った心も最後は穏やかで平らかになり、宗達が示してくれた魔法の扉に満足し外に出ようとすると、“既に門を閉めたので横の小さな杉戸をくぐってお帰りください” と言われました。
時計はまだ3時ですが…
(長くなりました。一日目続きます・・・)
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東国三社巡り-その3 《香取神宮》
http://moonlight7.exblog.jp/28721656/
2021-07-12T18:50:00+09:00
2021-07-14T17:51:42+09:00
2021-07-14T17:51:42+09:00
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旅あちこち
今月初めのバスツアーでの東国三社巡り、最後に行ったのは香取神宮です。このゆったりと構えて力強く美しい存在感溢れる社殿に心奪われました。
☆ ☆ ☆
バスから降りると参道がちょっとした商店街になっていて、昭和ムード感を味わいました。大きな赤い二の鳥居を過ぎてからは、深い鎮守の森の風情に変わります。 ここから香取神宮の森の中へ
参道の両脇の石燈籠には鹿が描かれている物が多数
神池や総門、狛犬、楼門と、立派で神威が降り注いでいるのを感じるものばかりです。
「あなたが落としたのは金の斧ですか?銀の斧ですか?」
と問う精霊が出てきそうな雰囲気の神池です
三の鳥居と総門が見えてきました
楼門の扁額の揮毫は鹿島神宮のものと同じく東郷平八郎
香取神宮は日本全国に約400社ある香取神社の総本社で、日本書紀の「国譲り神話」に登場する経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が御祭神です。古事記では、香取神宮の御祭神である武甕槌大神の別名として記され、同一神としています。
古事記では一柱で国譲りの交渉、日本書紀では二柱で交渉し主に経津主大神が活躍した、ということになっています。
拝殿周辺は厳かな気に満ちています
出雲の国に天降って大国主命と話し合い、大国主の国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身された。ということで、古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の称号を明治以前から持っていたのは伊勢・香取・鹿島の三社だったとのことです。鹿島神宮の武甕槌大神も香取神宮の経津主大神も、共に剣神、武神、軍神という神格を持っています。
古くから今に至るまで、武道分野からの信仰が篤い神社だそうで、この日、ツアーバスでご一緒だった若く体格の良い男性が、お一人でご祈祷を受けておられましたが、もしかしたら何かの試合の『必勝祈願』でしょうか? スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者がおられるそうです。 拝殿後方の社殿は透塀の屋根の工事中でした
こちらでも横詣りしようと裏手に回り込んでみると、『トントントン トントン・・・』まるで太鼓の練習でもしているような音が聞こえてきました。見上げると、拝殿の後方は全て工事中の幕がかかっていて、この日はどうやら透塀の屋根の檜皮葺工事。うっすら透けて工事の様子が見え、思わぬ檜皮葺き見学が出来ました。一枚ずつ、少しずつずらしながら重ねていく工法で、あのなんとも言えない綺麗なカーブが出せるのですね。 拝殿の基本は黒漆塗り・組み物に極彩色の装飾・屋根は檜皮葺。というこの建築的にも美しく力強く存在感溢れる佇まいに魅せられた私、珍しく記念撮影をパチリ… 巫女さんまで映り込んで、なんとも良き記念撮影になりました。
そろそろバスに戻る時間が近づいてきました。ちょっと急ぎつつのバスまでの途中に、奥宮と、この地出身で剣聖と言われている、天真正伝神道流(神道流)の武術の祖 飯篠長威斎のお墓に寄ります。 飯篠長威斎のお墓
経津主大神の荒魂が祀られる奥宮は伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの
急な下り坂を下りてゆき香取神宮ともお別れです
竹林に囲まれた奥宮の清々しさ、バスまでの路の素朴な風景、雨上がりの緑と爽やかで澄んだ空気。しばらく触れていなかった、体中が喜ぶ感覚を覚えます。長いマスク生活に息苦しい思いをしている日々でしたが、思わず少しの間マスクを外して、胸一杯に綺麗で美味しい空気を吸い込んでから帰路につきました。
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東国三社巡り-その2 《息栖神社》
http://moonlight7.exblog.jp/28704498/
2021-07-04T12:00:00+09:00
2021-07-04T02:42:12+09:00
2021-07-03T23:38:30+09:00
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旅あちこち
こちらの主祭神は、古事記で登場する名は“衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)”、日本書紀では別名の“久那斗神(くなどのかみ)”です。また、相殿神として“天乃鳥船神”“住吉三神”がおられます。
「船戸」は「船門」で港、港は交通の要衝として人の出入りが頻繁です。そのため“フナト(クナト)”は邪悪なものの侵入を防ぐ道の神という説があります。また、神話では国譲りの際に、鹿島神宮の武甕槌大神と香取神宮の経津主大神を東国へと先導した神です。
“衝立船戸神”は 厄除と陸の交通守護
“天乃鳥船神”は 空の交通守護
“住吉三神”は 海の交通守護
という、それぞれのご神徳があるそうです。
大きな旅に出る前などに参拝されると良いのではないでしょうか。
境内には、ここでも夏越の大祓の茅の輪が残されています。6月30日が終わったら片付けてしまうというわけでもないようですね。
添乗員さんとは顔馴染みという宮司さんがいらして、境内の説明をしてくださいました。なんでもこちらには7つのパワースポットがある、と力説しておられました。
その七つとは・・・
御本殿、御神木、招霊(オガタマ)の木、梛(ナギ)の木、御衣黄桜、稲荷神社、忍潮井の男甕・女甕
になります。
御本殿は、鹿島神宮や香取神宮のように大きくはなく控え目です
御神木は樹齢1000年ほどの夫婦杉
左上:招霊の木は、5月頃に小さく可憐な花を咲かせるそうです右上:梛の木はナギが海の凪に通じることから、穏やかに全てが円満に収まるお守り下:御衣黄は咲き始めは淡い緑色がかった珍しい桜
稲荷神社は、宮司さんのお話が伸びて集合時間が迫って時間が無くなり、それより忍潮井へと・・・泣く泣く手前で拝礼のみとなりました。
一の鳥居は境内に向かう二の鳥居からは100mほど反対の、利根川の支流・常陸利根川沿いにあって、江戸時代の水運の拠点、鳥居の先は舟溜まりになっています。その一の鳥居の左右には大小の鳥居が立ち、その元にはそれぞれ井戸があります。
それぞれの井戸の底には “男甕” “女甕” があり、その甕からは真水が湧き出ているのです。その湧き出る水が“忍潮井”と呼ばれるもので、日本三霊泉と言われています。甕は両方とも1000年以上も清水を湧き出し続けてきたのだそうで、水が澄んで甕を見ることが出来れば幸運が訪れると言われているそうですよ。
因みに、今回私たちはちゃんと見ることができたので幸いが訪れるのを楽しみに^^
こちらでは時間があまり無く、それほど広くはない境内だというのに、なんだかバタバタせわしない<見学のみ>となった感があり、そこがちょっと残念でした。
ですが、古くから伝わってきたものや行事や謂われを、日々大切に守り繋ぎながら粛々と暮らしている日本の良さを感じることができるのはとてもありがたいもの。自分の暮らしぶりやいろいろなものを見る視点を見返してみる良い時間にもなりました。
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東国三社巡り-その1 《鹿島神宮》
http://moonlight7.exblog.jp/28703952/
2021-07-02T22:00:00+09:00
2021-07-05T23:38:51+09:00
2021-07-03T17:13:53+09:00
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旅あちこち
早朝から開いている新丸ビルのカフェで軽食を摂り表に出てみると、鮮やかな深いブルーの綺麗な大型バスが到着しており、記入した健康チェックシートを提出・検温・アルコール手消毒の後、乗り込みます。 出発予定時刻ぴったりに東京駅を後にし、いざ、鹿島神宮へ。途中、バスはとても快調に進み今日の行程がスムースに進んでゆく予感がします。10時きっかりにバスは鹿島神宮の駐車場に入りました。
本日一つ目の神社参拝の始まりです。
☆ ☆ ☆
鹿島神宮の御祭神である“武甕槌大神”は、大国主命の国譲りの際に交渉のため高天原から天降る神様です。その交渉は成立し、武甕槌大神は日本の建国に挺身され、後に、源頼朝や徳川家康などの武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。
現在でも宮中の四方拝で遥拝されるうちの一社で、その昔から、日本の日出ずる最初の場所として重要視された場所でした。
バスを降りて鹿島神宮の鳥居をくぐったまさにその時、月次祭が始まる雅楽の調べに迎えられました。
東日本大震災で御影石の大鳥居は倒壊しましたが
境内に自生する杉の巨木を使用して平成26年6月1日に再建されました
鹿島神宮楼門は日本三大楼門の一つ
(左)鹿島神宮扁額・(右)香取神宮扁額
楼門の扁額の揮毫はどちらも東郷平八郎によるもの。鹿島神宮に天皇陛下が御参拝されることになった時、楼門をくぐる際に陛下を上から見下ろすのは…? と、文字を自ら消したのだそうです。
香取神宮の扁額には左に小さく書かれた名が残っていますが、鹿島神宮のものは消されています。
立派な楼門をくぐり進んでゆくと、夏越の大祓の茅の輪が残されていました。「7月の朔日詣りがここでできる」と嬉しい想いでいるところに加えて、一日遅れの大祓までできてしまい、なんとも心地よく幸先のよい出だしです。
右手に社殿が見えてきて拝殿前にてお詣りです。社殿は徳川2代将軍秀忠公による寄進で、重要文化財に指定されています。人が少なく、厳かな空気の中で心静かにお詣りすることができました。
高さ約43m・樹齢1300年の御神木が拝殿の屋根越しに見えますが、こちらの御神木に触るどころか間近にすることはできません。本殿を出来るだけ近くで拝見したくて横に回って傍に行ってみます。こうして横から近づきお詣りすることを“横詣り”と言うのだそうです。
本殿後方に御神木が聳え立ち、この本殿に御祭神の武甕槌大神がお祀りされています
神社建築の象徴の一つである千木は美しくてかなり好きです
千木は本来は「神の力が宿った木」という意味を持ちます
ずっと奥にある奥宮は現在“令和の大改修”の工事中のため、本殿前の仮殿に神様が移されていてこちらでも儀式が行われていました。神職の一挙手一投足に目を向けていると心洗われ、気持ちも引き締まると共に安らかになってゆきます。
鹿島神宮の境内の広さは東京ドーム15個分だそうで、その広大な森は“樹叢”と言われる、植生によらない自生した樹木が密生しています。樹木の種類が600種以上も有り、茨城県指定の天然記念物とのことです。ここからはそんな森を左右に見ながら進んでゆきました。
その昔、参拝するには現在とは反対側から入ってきて
一般人はこの入口の向こう側からしか参拝できなかったそうです
(そこからでは実は拝殿本殿を正面に見てお詣りすることが出来ません)
奥参道に足を踏み入れると、目に映る緑は織りなす光の輝きにあふれ、雨に濡れた木々からは清々しくも濃密な香りが立ち、しっとり落ち着いた美しさが心地よい。苔むした深い森の息吹は遙か昔の面影さえ感じさせてくれるようでした。
樹が雨を受け止めてくれるのか、さほど雨が降っている感もなく、このお天気の中で広大な境内を歩くのも苦にはなりません。むしろ雫に濡れた神社は神秘性が増し、幽玄の世界が顕れたかのようで、この日に来られて良かったとさえ思えました。
ここは流鏑馬神事が行われもするので、300mほど真っ直ぐに続く路です。
真っ直ぐに続く路の途中に鹿園があります。
鹿と言えば奈良、奈良と言えば鹿、と言われるほど奈良公園や春日大社の鹿は有名です。ですがその鹿は、武甕槌大神が召喚されて分け御霊をお乗せし、この鹿島神宮から奈良の春日大社へ行ったということで、奈良の鹿のルーツは鹿島神宮だという言い伝えがあるのは、多くの方がご存知かと思います。
古くから神の使者ということで奈良でも大事にされていますが、こちらの鹿たちはフェンスの中でした。雨の中、最初はみな鹿舎の中にいましたが、小雨になってくると一頭、二頭・・・あとはザザーッと走り出てきて何かついばみはじめました。子鹿が丘の上に登り、後になって降りて来れずに右往左往しているのがなんだか可愛くて頬が緩みます。
奥宮をお詣りした後、更に進むと右に左に路が分かれ、奥へ奥へ一歩足を進めるほどに、入口に“天然記念物 鹿島神宮樹叢”とあったことに心から頷くことができました。
この石碑は御祭神である“武甕槌大神”。この地で地震を起こし悪さをする巨大鯰の頭を押さえつけている様子です。地中深くにいる巨大鯰の頭を鹿島神宮の武甕槌神が、尻尾を香取神宮の経津主大神が押さえつけ、人々が恐れる地震を鎮めた…との謂われがあり、その地中深くに石が差し込まれているのがこちらの“要石”ということです。
地表に出ているのはほんの少しですが、水戸光圀公が参拝の折に、七日七晩かけて掘らせても根本まで行きつかず掘るのを諦めたとか。どこまで大きいのでしょう・・・
現在の参道入口から反対側の一番奥には「御手洗池(みたらしいけ)」という、一日400㌔㍑以上の水が湧き出す池があります。その昔は、訪れた人々は現在とは反対のこちら側から入り、御手洗池で禊をしてから現在の奥参道を進み、参拝したそうです。
今でもお正月には200人もの人々が大寒禊を行うのだそうです。そして、この水の中に入ると、大人も子どもも水面は胸の高さを超えないという不思議がある池なのだと伺いました。鳥居に重たげな樹がおおいかぶさって、なんだか厳かな雰囲気が漂います。
鹿島神宮は、どこまでもどこまでも深遠で独特な世界観に吸い込まれてゆく感じです。一年以上に渡るお籠もり生活で固まってしまった身と心とが、そんな空気の中でほどけてゆき、ただただ喜びを感じることが出来るとても良い時間を過ごすことができました。
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4日目午後 工房巡りの半日
http://moonlight7.exblog.jp/27180637/
2018-10-23T22:00:00+09:00
2018-10-25T12:38:58+09:00
2018-10-23T22:08:16+09:00
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旅あちこち
“伝統工芸を支えている職人さんの作業現場を見学したい!”
そんな思いが、旅のスケジュールを考えていた時に湧いてきました。行きたい所、観たい内容の希望をいくつか出してガイドさんに連れて行っていただきました。
<モザイク工房/ PITTI MOSAICI>
オーナーの奥様(ヨーロッパナイズされた素敵な日本人マダム)が、ショールームと工房を案内してくださいました。ショールームに展示されている、目にも麗しく豪華な丸テーブルを前に
「こちら、聞いたらひっくりかえってしまうほどのお値段なので言えません…」
といきなり言われ、目を丸くする私たち。
(残念ながらその品は撮影不可 このモノクロ作品を遥かに豪華にした上品な色合いのものでした)
一体、この工房はどんな所から依頼が来て、どんな芸術品を納めているのでしょう?
工房に入ると、大きな貴石が色別にゴロゴロ。棚の引出しの中にはスライスされた石がザクザク。こうして置かれていると、ただの大きな石?
そこに、職人さんがスプレーボトルを持って現れ水をスプレーすると・・・ツヤツヤとした綺麗な色と石の持つ表情が現れます。スライスして磨けばもっと綺麗になるのが解ります。
半貴石の自然な色とテクスチャーを使って絵を描く、とでもいうのでしょうか。『Painting in Stone』と書かれています。
奥に進むと熟練職人さん二人の方が作業中。下絵に合わせて色石を選び、スライスされた石のどこを使うか決め、必要な部分を必要な形にカットし、それを組み合わせて貼り付けていく、という細かい作業を繰り返して行っています。
上:“これが草原、こっちが空に使われるんだよ”
下:空をバックにした遠景の糸杉の小さなパーツを調整中
右下の4つの細長い糸杉のパーツ、見えますか?
この小さな小さなパーツをカットするのが、なんと、ルネッサンス時代から継承されている方法で、その名も『ハンドカッティング』。弓状の針金鋸を使い、砥石の粉を付けながら切るのですが、このレトロにして繊細且つ優雅な姿に見惚れます。
こちらもお土産用の額装にする作品作りで、蜜蝋付けの作業中
遠い昔から、モザイクで壁や天井や調度品を飾っていたことを思うと、石からアートを生み出すアイデアや技術がこうして大切に受け継がれて、一心不乱に製作している職人さんの姿を見ると、敬服の思いがフツフツと湧いてきます。
<彫金細工・メタル工房/Giuliano-Ricchi>
55年この仕事一筋というジュリアーノさんのメタル工房では、真鍮、銅、銀などで小物やアクセサリーを作っています。訪れると、ノスタルジックな古びた階段で地下に通されました。なんとも時代がかったというか、ルネッサンス時代もきっとこんなだったに違いない、と思われる古色蒼然とした作業場でした。
そんな中、ジュリアーノさんが喜々として次から次へと作品の説明をしてくれます。
「こうして型に真鍮の板を載せてプレスすると…
ほら、こんな風になるのをいろんな製品に使うんだよ」
「この小物たちは昔から伝わるロストワックス製法で
こんな風にクリスマスのオーナメントも
ここの作品はこうした二つの技法で作っているんだ」
これはディオールに納めた物、こちらはグッチからの依頼、これはサンタマリアノヴェッラから委託されたもの云々… 小さく可愛らしいものからフォトスタンドなど大きなものまで、本当に沢山作っています。
「1€持っていたら面白いものをお見せしましょう」
一人が1€を差し出すと何やら四角いスチール製の型に載せて、一世紀働いているというプレス機に通しました。
すると、丸いコインが楕円の形になり、しかも、フィレンツェの市章であるユリの紋章がレリーフとなって押し出されてきました。
「わ〜〜♪」
女子ですねぇ、、、記念に、私も私もと。
ジュリアーノさん、嬉しそうに結局4回もプレス機をかけることに!
1階に戻るとショップでは奥さんやお孫さんが会計や包装を手伝い、家族総出のお見送り。自分が今できることをして家族ぐるみで工房を維持していくってなんだかいいな〜。とてもアットホームで、心がほんわりと優しく温かくなる工房でした。
<銅板印刷工房/L'Ippogrifo Stampe d'arte>
次に行ったのは、繋ぎの時間にとガイドさんが予定に入れていてくれた、なんだか厳ついおじさんがやっておられる銅板印刷、エッチングの工房です。
いかにも職人さんらしい感じ。必要なことを一通りきっちりと説明した後、デモンストレーションが始まります。
あぁ、、中学の美術の時間にエッチングの作品を作ったことが思い出されます。銅板にニードルでひっかくように絵を描いて、こんな風にプリントするんだ!! と、初めての経験にとても興味を抱いたことが懐かしく思い出されます。
銅板エッチングは、ヨーロッパ各地で1500年代から印刷の始まりとして使用された技術です。銅板に正確にデザインを彫りこんで版を作るのは一番大切な作業で、失敗は許されません。
マエストロのジャンニさんは生粋のフィレンツェっ子。一流のAcademia Delle Belle Arteという美術学校を出てアーティストの道に進まれたそうです。そして、息子さんが跡継ぎとして勉強中とのこと、ジャンニさんも頼もしく思っているでしょうね。
生真面目なジャンニさんらしく、作品はサイズ別・ジャンル別に、整然と分けられ展示販売されていました。私はカラーをつけたものより、明暗のみで表現する単色のエッチングが好きで、以前は数枚部屋に飾っていたことも。エッチングの味わい深い描写を楽しむために、出してきてまた飾ろうと思ったのは言うまでもありません。
<額縁塗装、修復/レオーネ工房>
絵画につきものの額縁ですが、美術館に展示されているものの中には、あまりに豪華な額の方に目がいく、なんてことがありませんでしたか? 誰がどんな風にこんな凄い額を作るのだろう!? よく思ったものです。
レオーネさんの工房は、なんと! 世界中の名だたる美術館からの依頼で、その豪華な額縁たちを修理したり依頼されたりする工房でした。凄いです!!
そのように貴重な品を扱うからといって作業現場が仰々しいという様子は微塵もなく、レオーネさんの娘さん二人が楽しそうに朗らかに仕事をしていました。こちらがびっくりするほどのフランクさと底抜けの明るさです。これがイタリアン!? でも、作業中のまなざしは真剣です。
金箔を少しずつ貼っていく作業は見ている方が緊張します
長女のシモ-ナさんと次女のヴァレンティーナさんが父親の仕事を受け継ぐことに喜びを感じているのが真っ直ぐに伝わってきます。
父である『レオーネさん』の呼び名は実はニックネーム。若い頃はふさふさとした金髪でまるで雄ライオンのよう、と皆がレオーネと呼んで、工房の名にも使用したそうです。このレオーネさん、この道63年…
奥にも作業場があり、レオーネさんはそこで作業をしていましたが、金庫から額を取り出し、明日にも納めるというとても貴重な額を“内緒だよ”と言って見せてくださいました。つつましいながらも自信と誇りと喜びでいっぱい、といったお顔でした。
熱烈歓迎と言うけれど、長時間に渡って額の修理現場を説明してくれた姉妹の見送りも熱烈そのもの。
記念にと額の中に収めてくれたり
額に入ってパチリ、わいわいと一緒にパチリで楽しい♪
ハグ&両頬にキス!のイタリア式挨拶をしたり。
『来てくれて楽しかったわ、ありがとう♪』
『またいつでも来てね!』
形式的ではない、アチチというくらいの熱量が伝わってくる別れの挨拶に感動(どこに感動しているんだか…?) 素敵なおもてなしでした。
<革小物工房/Il Bussetto>
16歳の時から革工房に弟子入りしたというジュゼッペ・ファナーラさんは、阪急百貨店梅田本店で開催される"イタリアフェア"に何度もいらしているそうです。
イタリアに古くから伝わる縫い目のない革の加工技法で、『イル ブッセット』というブランドを立ち上げています。イタリアでなめされた上質な革を使い、一つ一つ丁寧にハンドメイドされた馬蹄形の小銭入れは知る人も多いことでしょう。
自ら工房を持って30年。息子さんが伝統的な職人仕事を未来へ継承するべく、父親の仕事を手伝いながら修行を重ねているとか。
製品がなくなってきたら一つのアイテムをまとめて作るそうで、馬蹄形の小銭入れを製作中でした。ということで、ショーケースにこの小銭入れは一色が僅かにあるだけで、
「好きな色がなくてごめん! 今作っているこれは、色を塗って乾かして、出来上がるのは明後日だね」
友人はご主人の還暦祝いにと、メガネケースに刻印を入れて貰っていました。素晴らしいプレゼントゲット、いいですね〜
☆ ☆ ☆
フィレンツェには何世紀も変わらずに続けている工房も、近年なって立ち上げた工房も、実に様々なものがあります。
日本の伝統工芸もそうですが、引き継ぎ手の不足、職人の高齢化という現実は、このフィレンツェでも同じです。後継者がいなくて工房を閉じてしまう。実際、希望を出した額彫り職人さんの工房が3年前に閉じてしまっていて見学叶わず、ということも。
ガイドさんが他の額彫り工房を見つけてくれました。
「忙しいからちょっと見るだけなら」
とOKしてくれた工房があったのですが、相当お忙しい時期だったようです。
残念ながら工房に入ることはできませんでした。でも、外から見たその様子にはもの凄く心惹かれるものがあり・・・
お店の外から撮影だけ。
どの工房でも、マエストロの腕と技で美しいものが丁寧に時間をかけて作られ、デジタルとは全く無縁の光景、昔ながらの作業環境、道具、手法。それらを長く大切にしてきた様子がとてもよく伝わってきて、強く印象に残る工房巡りでした。
訪ねてみたいところはまだまだあるのです。絹織物や刺繍やレースや家具作り・・・ いつかまた行けますように!
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4日目午前 フィレンツェの至宝の数々を訪ねて
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2018-10-18T22:01:00+09:00
2018-10-19T01:16:12+09:00
2018-10-18T22:01:12+09:00
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旅あちこち
観たいものはあちこちたくさん! 効率よく廻りたいけれど、何よりも時間が無い!
そんな状況でしたが、ドゥオーモのクーポラを登り、あのドームの部分がどんな風に二重構造になっているのか見学したい、と、朝一でドゥオーモへ行きました。
使用し始めて72時間以内は、72の美術館や宮殿に予約・行列なしで入場することのできるフリーパス『フィレンツェカード』。これをあらかじめ日本で購入してあります。窓口でのチケット購入や行列にはほぼ無関係です。
“遠くから訪ねる観光客にはありがたいことよね♪”
スマホに入れたフィレンツェカードには入場毎に訪問先が記録されてゆきます
ところが、入場はできてもクーポラに登るチケット(知ってはいたのですがその場で買えると楽観していました)が、木曜日までsold outとのこと! この日は火曜日です。
あぁ、とてもとても残念!!
それならば、とジョットの鐘楼に登ることにしました。元々、皆さんクーポラか鐘楼か、どちらに登るか迷うところなのです。鐘楼からは間近にクーポラを観ることができるのですから、こちらも期待大です。
白=信仰 緑=希望 ピンク(赤)=無償の愛、隣人愛イタリアの国旗の色でもあるこのカラーの大理石が使われたゴシック様式の建築
白、ピンク、緑の大理石で長い年月をかけて造られたドゥオーモやジョットの鐘楼の存在感は半端ではありません。
ジョットの鐘楼は高さ84m。狭い階段を414段上がっていきます。途中、いくつかある小窓から、今いるのがどのくらいの高さか確認でき、その光景になんだかワクワクしてきます。
階段は狭く長くて急 擦れ違うのはギリギリです明かり取りの窓からの景色にホッと一息
かなり登ったと思ってもまだまだある階段に、少々くたびれました。日々の運動不足を思い知らされる時です。途中、二箇所ほどの踊り場があり、この憩いの場で元気を取り戻して、最後の一踏ん張り!
鐘楼の上はグルリと回れてフィレンツェの街を360°見渡すことができます。
メディチ家礼拝堂やリッカルディ宮殿が
ヴェッキオ宮殿やウィフィッツィ美術館、遠くにミケランジェロ広場が
レプッブリカ (共和国) 広場が・・・
“天井のない美術館”と言われるフィレンツェの赤い屋根瓦の美しい街並み。観ていると、安野光雅さんの絵本『旅の絵本』が思い出されました。
そして、何と言ってもこちらの眺め。クーポラがすぐそこに。
ジョットの鐘楼を登る醍醐味ここにあり、です。
クーポラ展望所にも観光客が到着し始めたようです
ブルネレスキの設計で1463年に完成したというレンガの積石造りのクーポラは、今尚、世界最大級を誇っているとのこと。それをこんなに間近に観ることができた喜びは、この建物と同じくらいの迫力となって心に残りました。
☆ ☆ ☆
後ろ髪を引かれる思いをわずかに抱きつつ、サン・マルコ美術館へと足を速めました。フラ・アンジェリコの「受胎告知」のフレスコ画は、この場所に行かなくては観ることができないもの。元々が修道院である、ここの中庭も美しいと聞いていました。
入ろうと扉を押し開くといきなり教会の中。美術館はどこ?と少し戸惑っていると、同じように入口を探している日本人観光客のご夫婦に会いました。教会と美術館と修道院・・・ちょっとゴチャゴチャになります。
が、サン・マルコ美術館は本来がサン・マルコ修道院で、修道院であった一部が美術館として公開され、サン・マルコ修道院に縁の深い美術品が展示されているのです。
中に入ると、あの美しいサンタ・トリニータの中庭にしばし心を奪われます。
回廊の壁に描かれているフレスコ画もどれも綺麗で心和みます。
ゆっくりとこの場の雰囲気を味わいたいけれども、気持ちは先へとはやってしまい… 1階に展示されているものを観ながら巡っていき、とある角を曲がると・・・
階段の上で、あの『受胎告知』が柔らかな光りの中で輝いていました。
階段を1段上がるにつれ、崇高な絵が近づいてきます。場面の中に吸い込まれそうな感覚。この幸せな興奮は、本物を、あるべき場所で出会えた時に感じるものかもしれません。
美しく高潔で優しい表情、ソフトな美しい色合い、そして、天使の翼の虹色にしばし見とれます・・・
フラ・アンジェリコはここの修道士でしたが、修道院の修道士たちが寝泊まりしていた僧坊や図書館が残されています。
ひと部屋は10畳もないくらいの広さに小窓が一つ
各部屋に違うフレスコ画が描かれており、ほとんどがフラ・アンジェリコやその一派の手によるものだとか。どれもこれもが美しく安らかで、心穏やかな世界に導かれる思いです。
人格者として名高かったフラ・アンジェリコの本名はグイード・ディ・ピエトロ。フラ・アンジェリコのフラは『修道士』、アンジェリコは『天使のような人』。つまり、『天使のような修道士』と呼ばれていたということになります。フラ・アンジェリコが描く絵は、彼の人柄の現れ、なのですね。
この場、この部屋、今歩いているこの廊下、当時の人々と同じ空間を共有できた感動でいっぱいになりました。
☆ ☆ ☆
午前の最後の行き先に選んだのは、イタリア芸術の巨匠たちの作品が多数展示されている ウフィツィ美術館です。ここを見ずして帰れません。
予約専用入口でフィレンツェカードカードを見せればすぐに入れる、と聞いていたのですが、甘かったです、、。当日チケットの行列はもっと凄いですが、こちらの専用入口も、電話やネットで予約している人、フィレンツェカードを持っている人で一杯なのです。
一体どのくらい待たされるのか?と思っていたら、どうやら100人単位くらいで入れていっているようで、動くときは一気に前進です。それでも、30分は待ったかと。
入場したらしたで、広くてわかりにくくて、お上りさんの私たち、チケットもぎりの受付に行くまでに迷いました(汗)
さあ!いよいよ名画の数々とのご対面です。2階と3階に展示室があるのですが、3階だけでも部屋が44部屋に分かれています。2階を入れると一体何部屋なの?ですが、これを全て回ると1日がかりとか。
私たちに与えられている時間は2時間弱でした。本当に観たいものだけ、ほぼ駆け足状態での鑑賞です。
廊下は広くて彫刻が置かれ、天井附近にはビッシリと肖像画が並んでいます。当時の人々が画家に依頼して描かせたそれは“夥しい”数だったことでしょう。そして、東西を問わずですが、建築や内装の豪華で緻密なことには本当に驚嘆の言葉しかありません。
ザザザーッとルネッサンス以前を観てからは、待合せ時間と場所を決め、各自で観たいところを観たい時間配分で回りました。が、“やっぱりね♪ここは観るわよね♪”というところ多く、そこはやはり似た感性の者同士だったようです。
レオナルド・ダ・ビンチに影響を与えたというフィリップ・リッポの『聖母子と天使』
そして、あまりに有名過ぎるこの2点が想像していたより大きく素晴らしく、見惚れるしかありませんでした。 ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』
同じくボッティチェリの『春 (プリマベイラ)』この2点はやはり凄い人気で観客の壁ができますがスッと人が引くこともあり・・・
記念撮影もできてしまいます!
レオナルド・ダ・ヴィンチと師匠であるヴェロッキオとの共作『ヨハネによるキリストの洗礼』
ヴェロッキオ工房で修業していた若きダ・ヴィンチが任されたのが、左端の天使ですが、私たちが見てもその違いは歴然です。師匠は弟子のあまりの腕前に感嘆して筆を折り、絵画から彫刻に転向したのだそうです。
レオナルド・ダ・ビンチの『受胎告知』こちらはダ・ヴィンチが20歳頃から30歳頃までに、ほぼ単独で描いた事実上のデビュー作。
そして、次々と見覚えのある作品、見ておきたい作品が怒濤のように・・・ ウィフィッツ美術館所蔵の珠玉の数々が凄すぎます。メディチ家の力が凄すぎます。下の3点も宝物ですね。
フィリッピーノ・リッピ『幼児キリストを礼拝する聖母』
ミケランジェロ『聖家族』ラファエロ『ひわの家族』
下の肖像画はラファエロの肖像画の中で唯一夫婦揃った肖像画で『アーニョロ・ドーニの肖像』『マッダレーナ・ドーニの肖像』。妻は『モナ・リザ』と同じポーズをとっています。景色や柔らかなグラデーションなどレオナルド・ダ・ビンチの影響を色濃く感じられるものです。
ティッツイアーノ『ウルビーノのヴィーナス』
挑発的な女神に対し、家具から衣装を必死に探すメイドがおすすめの見どころ、だそうです。
本当に膨大な素晴らしい作品がこれでもかと並ぶウィフィッツ美術館ですが、絵画はこの辺りで・・・ もちろん、彫刻の部屋もいくつか
そして、こちらは特別室。『トリブーナの部屋』といってメディチ家の傑作コレクションが飾られた八角形の部屋になっています。ここは室内には入れず、3カ所の間口からの鑑賞になりますが、それは見事な設えでした。
限られた時間の中で沢山の部屋を次々と回り至宝の数々に刺激を受け、至福のひとときを過ごしたフィレンツェの朝でした。
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3日目 アッシジへ日帰り旅行
http://moonlight7.exblog.jp/27149588/
2018-10-06T23:45:00+09:00
2018-10-08T03:22:47+09:00
2018-10-07T23:59:00+09:00
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旅あちこち
フィレンツェとローマの中間、アッシジを訪ねました。ガイドと運転手付きでゆったりしたワゴン車、楽ちんな日帰り旅です。
今回の旅が、前世があるとするなら、イタリアのどこかの修道院仲間だった?という妄想からでした、というようなことを書きました。その妄想劇場の登場人物は、修道士2名と、煩悩だか欲望だかを抱く修道女、そしてその修道院の修道院長ということになっています。
それもあってか、清貧の聖フランチェスコゆかりの土地であるアッシジ行きは、当然のようにすんなりとスケジュールに組み込まれることになりました。
☆ ☆ ☆
アッシジは、カソリック「フランチェスコ会」の総本山でありキリスト教の巡礼地です。
フランチェスコはアッシジの裕福な織物商の家の生まれながらも、ある日、郊外の荒れ果てた教会で「私の教会を建て直しなさい」という声を聴き…
彼を商売の跡継ぎにと考えていた父親に背いて、自分の持ち物一切と身につけている服も全て両親に返し、神と自然を賛美して祈りを捧げ、日々の托鉢での生活となり、後にフランチェスコ修道会を設立します。
「清貧、貞節、従順」がモットーの生活です。そして、フランチェスコを尊敬し、その生き方に倣いたいという貴族の娘、キアラが現れます。彼女は女子修道会を作り、フランチェスコとキアラは共に協力し合い、主のために生涯を捧げたということです。
そんな二人にゆかりのある聖堂やフランシスコ会関連施設は、世界遺産として登録されています。
<カルチェリの廬>
フランチェスコが祈りを捧げ、瞑想していた場所の跡に、教会や礼拝堂が建てられています。緑に囲まれ、アッシジの街並みを見下ろすことができ、とても神聖で気持ちのよい所でした。
門をくぐるとフランチェスコに迎えられました。神聖な雰囲気の中を進んで行くと、渓谷のような崖に沿って施設が建てられています。
少年に語りかけたり地面に横たわって瞑想したりするフランチェスコ像や、祈りを捧げていた場所などがある小路はその昔の空気感を感じます。
<聖キアラ聖堂>
アッシジの貴族の娘だったキアラが、フランチェスコの教えに賛同し、財産全てを放棄して清貧の精神を生きる女性たちのグループを作りました。この大聖堂はキアラの死後建てられ、修道院地下にはキアラの遺骸を収めた部屋などもあります。聖堂は白とピンク、薔薇窓が美しく、女性らしい佇まいの聖堂です。(室内は撮影禁止でした)
<アッシジの街並み歩き>
中世の雰囲気が溢れるアッシジの街並みは、どこを切りとっても絵になります。城壁の門があちこちにあり、ローマ時代のミネルヴァ神殿とポポロの塔などが街中に残っていて、歴史を感じながらも、なんだか思いっきり楽しいテーマパークにいるような錯覚を覚えます。
<ドゥオモ(聖ルフィーノ大聖堂)>
アッシジで一番重要であり一番古い教会。フランチェスコもキアラも、この教会で洗礼を受けたそうです。ロマネスク様式のファザードには、中央と左右に扉とバラ窓があり、よく見ると控えめな浮き彫りのレリーフもあり美しくエレガントな印象を受けます。
<フランチェスコ生家>
フランチェスコの生家跡には教会が13世紀に建てられています。この教会の裏手に、家の入り口や父によって閉じこめられたという部屋のドアが残されています。
フランチェスコが出家時に脱いだ服を持つ父親。父によって繋がれた鎖を解き、それを持つ母親。そんな姿をイメージした像がありました。残された両親の思いはどんなだったのでしょう。
<聖フランチェス大聖堂>
フランチェスコの功績をたたえるために、彼の死後、建設された大聖堂です。二層からなる堂内にはどちらも多数のフレスコ画が描かれています。中でも、ルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、「小鳥に説教する聖フランチェスコ」を含む28の場面を描いたフレスコ画は圧巻でした。
イタリアも地震が多い国。1997年にウンブリア地方で地震が起こり、ドーム天井や屋根が崩落したとのこと。貴重なフレスコ画も天井から崩落しましたが、その無数の破片が持ち出され、数年にわたって根気よく、ジグソーパズルのような作業がボランティアによって続けられたそうです。今では、蘇った美しい聖堂内を見ることができます。 上層部聖堂には美しい回廊があり、中庭のまわりを美しいアーチが並び、中央には古い井戸が残されています。
雲間から降り注ぐ光はきっと当時は天国からの光と感じたことでしょう。
<聖ダミアーノ教会>
放蕩生活を送っていたフランチェスコが1206年に、ここの十字架の前で祈っていると「私の壊れかけた家を建て直しなさい」という神の声を聞き、一人で石を積みながら修復したと言われている礼拝堂があります。
糸杉が絵のようにすっくと立っている道を進んで、こじんまりとした教会と修道院へ。途中、サンタマリアデッリアンジェリの教会を臨む聖フランチェスコの像がありました。 女性らしさを感じさせる回廊と中庭は、美しく可憐で心惹かれるものがあります。
食堂には粗末な木の長テーブルと長椅子が置かれていて、キアラが座っていたという席は一番隅でした。キアラは尼僧としてこのサン・ダミアーノの修道院で過ごし、生涯を通して聖フランチェスコを精神的な父と仰ぎます。当時の面影を残した修道院は質素で厳か、且つとても美しいものでした。
<リヴォトルト>
アッシジの中心街からは少し離れて、フランチェスコが最初の”兄弟”たちと2年ほど住んでいた所です。会堂は、当時の小さく質素な「聖なるあばら屋」を保存されるために建てられたのだそうです。
ファサードの絵画は… ある夜、フランチェスコが出かけている間に、あばら屋で寝ていた兄弟たちが輝く火の馬車を見て、彼の魂が常に共にあることを知り、おおいに勇気付けられた、という伝説からのものです。
<サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会>
フランチェスコが、1211年頃、最初に与えられた聖堂「ポルツィウンコラ礼拝堂」を守るために建てられた教会です。教会の中に教会があるのです。フランチェスコは、そのポルツィウンコラ礼拝堂の後方で、1226年10月3日の夕暮れ天へ帰ってゆきました。
フランチェスコが暮らしたと言う石穴があったり
聖フランチェスコ像のある場所には、フランチェスコを慕ってここにに居ついていると言われているハトがいたり、フランチェスコの奇跡といわれる棘の無いバラがある庭があったり、彼がここに居たことが印象付けられる箇所がいくつもありました。ここでは、世界中から信者が来て祈りを捧げる神聖な場所ということが伝わってきます。
☆ ☆ ☆
アッシジは世界遺産に登録されています。当時の聖人達が質素で清らかな生活であったことと、功績を讃えるため後に建てられた聖堂の輝かしさとの対比の際立つ街です。教会では、信者がひざまずき熱心に祈りを捧げていたり、あちこちで説教が行われていたり。厳かな雰囲気の中、私たちツーリストをも広い心で迎え入れてくれる、懐の深い街。もっと下調べをして行けば… との反省点もあります。
祈りの街での学びは多く、印象深いものとなりました。
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2日目 その2 夕刻のフィレンツェの街を愉しむ
http://moonlight7.exblog.jp/27145210/
2018-10-06T02:03:00+09:00
2018-10-06T04:13:31+09:00
2018-10-06T02:03:01+09:00
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旅あちこち
☆
旅のスタートは思いもかけない試練続きでどうなることかと思いましたが、夕方にはなんとかスーツケースが届いて4人揃って着替えも済ませ。さて、ようやくここから予定通りの行動です。
少しだけお店を覗きながら街中を抜け、まずはアルノ川のポンテ・ベッキオ(ベッキオ橋)を渡ってみました。“フィレンツェ最古の橋”ということで、アルノ川を象徴する橋なのですが、橋の上にはたくさんの宝飾品店が並びキラキラしています。
メディチ家の専用通路「ヴァザーリの回廊」が橋の上にできた当時、焼き肉店ばかりが並んでいて、臭いの問題から、美しい物に変えようということで宝飾店ばかりになったそうです。
この日のハイライト、ミケランジェロ広場までは、橋を渡ってからタクシーで。日没時には大勢の人が集まり、広い広場だというのに割り込む隙もありません。
少し高台にあるサン・ミニアート・アル・モンテ教会に寄ってみました。フィレンツェ一望は素晴らし眺めで絶好のポイントです。
☆ ☆ ☆
こちらに着いてから1日が経とうとしていますが、まだ、食事らしい食事をしていない私たちでした。夜景を待てずに坂道を降りてゆき、街の光景を木々の間から見ながら、目指すレストランへ急ぎます。
見当をつけていたレストランが見当たらず、Oさんの嗅覚で入ったお店は大当たりでした。
迷いに迷って決めたお食事の数々。日本人の私たちは一皿をシェアしていろいろな味を愉しむ、ということを知っているお店の方は、ちゃんと取り皿を用意してくれます。
ああ、本場のイタリアン!! ガツンとしっかりした奥深い味わいがたまりません。日本のイタリアンと全然違います。ジェノベーゼのニョッキの味、初挑戦のギリシャサラダ、トマトのブルケッタにピザパン。どれもこれもが舌にも脳にも焼き付き忘れられないでいます。
こうして、イタリアはフィレンツェの初日は幸せのまま更けてゆきました・・・(?)
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