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久しぶりの京都旅記録 一日目 その1

京都に3日間の旅をしました。旅らしい旅は久しぶりになります。
京都に着くと、修学旅行の集団にいきなり出会い、生徒達は以前と同じように元気で、知らない土地に来たワクワク感にあふれています。大勢の人が集まるこうした光景からずいぶんと遠ざかっていたこと、2年弱もの間お籠もり生活をしてきたんだなということに改めて気付かされます。

そして、人出はまだまだ少なく、初日は三十三間堂〜養源院〜智積院〜清水寺と廻りましたが、清水寺の参道で徐々に賑わいが戻ってきているのを感じたくらいで、他は観光地の人通りの多さからはほど遠いものでした。でも今回はその恩恵を受けて訪問先は静かで、ゆっくりと国宝の建造物や美術品を鑑賞することができました。

<三十三間堂>
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三十三間堂は昨年お正月に来た時には堂内は身動きできないほどで、通勤ラッシュアワーですか?と思うほどでしたので、人と観音様がとにかく沢山、という印象しかありません。が、今回は 二十八部衆や風神雷神像などは間近でいくらでも!! 状態です。丹念に一つひとつを心ゆくまで鑑賞しました。

千体の『千手観音立像』と一体の『千手観音菩薩座像』。それに加えて二十八部衆・風神・雷神がずらりと並ぶ様はとにもかくにも壮観な眺めです。そしてなんと、一昨日から11月末までの設置だという『秋雲壇』がありまして。

これは何かと言うと、通常の目の高さより1.2m上から立像群を見ることができるというものです。上って眺めてすぐに『これは凄い!!』と思わず口にしてしまいそうでした。少し上から見ただけでこんなに迫力が違うとは驚きです。通常も設置していればいいのに、と思いますが混雑時は邪魔になってしまうのでしょうね。

真ん中の千手観音菩薩座像の左右両側に50体×10列ずつの立像が並び千体になるわけですが。通常だと3列目くらいまではどんなお顔か確認できても後方はもう、お顔全体はわかりません。千体のお顔は一体一体違い、必ず一体は自分と似たお顔の観音様いると言われています。

ですが、秋雲壇に上って見ると、金色のまばゆいばかりのお顔が500、1000と、こちらを見ているように感じるわけです。これには興奮してしまいました。幾重にもなっている大勢の観音様とただ一人で(ほぼ貸し切り状態でした)対面しているのです。この圧倒的群像とそんな状況で向き合えるのですから無理もありません。自分と似た観音様は居るかしら? もはやそんな思いは吹き飛び、頭に十一面のお顔があり手が四十二本ある観音様が千体並んでいる様に、ただただ見とれるばかりでした。

自分の代を一代目として両親が二代、祖父母が三代……十代遡ってその数を合計するとご先祖の数は1022人。ここに居る(敢えて居ると表現します)観音様、観音菩薩様、28部衆、風神雷神を合わせると1031体。それはもう、十代遡ったご先祖さまがここにおられるようなものです。そう考えるとここに立っていると夥しい数のご先祖様に見守られているような気になるというものです。本当にありがたい圧倒的壮観さです。

堂内の両脇にある風神・雷神も今回は心ゆくまで鑑賞することができました。俵屋宗達の『風神・雷神図』は三十三間堂のこの風神・雷神像がモデルになったと言われています。
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本堂の周りをぐるりと一周 西側廊下ではこの120mの距離を競う『通し矢』が行なわれてきました


<養 源 院>

あの有名な『風神・雷神図』を描いた俵屋宗達が無名の頃に描いた杉戸絵が三十三間堂の東向かいの養源院にあります。


その杉戸絵の『白象図』を見たいと思ったのは、原田マハさんの小説『風神雷神』に登場し妙に惹かれるものがあったからです。長い年月を経ても、描かれた当時のままの形でその場で観られるのも嬉しいですし。ただそれだけの思いでしたので、養源院のことを調べることなく出かけてゆきました。


以前、友人からは、“養源院ではなんとも怖い話をうかがった”と聞いてはいたのです。そのことがすっかり頭から抜け落ちておりまして。門前で、とある看板を見て“あ‼︎ これは…”と、不安な気持ちが頭をもたげることとなりました。

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ギョッ…とした看板は写真枠外の右側にあります


『養源院』は浅井長政の院号だそうです。長政の娘である淀君が父の21回忌の供養のために秀吉に願い出て創建されました。その後、淀君が亡くなった際には、妹のお江が今度は淀君と秀頼を養源院で供養することとなります。お江の父や姉を供養したその大事な寺が創建25年後には落雷で焼失してしまいます。

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そして、お江の願いでこの寺を徳川家のために再建して以来、徳川家の菩提所となるのですが、それが丁度400年前、1621年のこと。本来なら養源院さんでは今頃《再建400年》を祝う行事が行われていたことでしょう。

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徳川家の美しい三つ葉葵紋に迎えられます

再建時には伏見城の遺構を利用しており、実はそれこそが“怖さ”の元だったのです。こちらは自由拝観ではなくお寺の方が案内しながら解説してくださいます。ただでさえ暗い造りの養源院さんで、更に暗い淵に沈み込んでゆくような思いがする史実のお話をうかがいました。その詳細は書きませんが、日本史好きな方はご存知かもしれませんね。気になる方は検索してみてください。“私は行った時に話を聞いて驚きたい!”という方はそのままそっと・・・ ・  ・


そんな訳で今日のどんよりした天候も相まってか、案内の方が “暗くてすみません”とおっしゃると、また暗澹たる思いが広がります。


そんな空気を和らげてくれるのが宗達の杉戸絵でした。当時の凄惨な亡くなり方をした方々の魂を慰めそっと包み込むような、優しい『白象図』。他に『唐獅子』『麒麟』という架空の生き物の杉戸絵があり、どこかユーモラスで温もりがあり、杉戸一面いっぱいにに描かれた奇抜な構図の中にも純真な無邪気ささえ感じます。

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↑ 堂内は撮影禁止ですので 絵はがきです


杉戸のそれぞれの配置や開閉時の見せ方などにも独創的な工夫があり、宗達が、平面ではなく菩提寺の空間を立体で捉えてこの仕事を創りあげたのが見て取れました。


波立った心も最後は穏やかで平らかになり、宗達が示してくれた魔法の扉に満足し外に出ようとすると、既に門を閉めたので横の小さな杉戸をくぐってお帰りくださいと言われました。


時計はまだ3時ですが


(長くなりました。一日目続きます・・・)


by moonlight_ts | 2021-10-19 22:30 | 旅あちこち
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いとしきものたちとの日々は毎日が特別な日♪


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