
三十三間堂、養源院のほど近くには、智積院があります。ここは長谷川等伯の『楓図』、その息子久蔵の『桜図』、他にも長谷川一派の障壁画を収蔵していることで有名なお寺です。もう何度も来ている所ですが、やはりあの国宝の障壁画を見ずに通り過ぎることはできません。
収蔵庫の入口で先客とすれ違い、中に入ると誰もいませんでした。寂しい反面、この絢爛豪華な国宝に一人囲まれてなんてラッキー‼︎ と心の中で正直な声が。というのも、前回来た時は大勢の来訪者の中を縫うように、慌ただしくささっとしか観られなかったものですから。
入口の解説ボタンを押すとゆったりした声で館内の作品が順に解説されます。これを二回聴きながら順繰りに観て、後は『楓図』「桜図』の前で正座して魅入っていました。

画力が父を超えると言われたほどの天才絵師久蔵が『桜図』を描いたのは24歳の時。ですが、完成した翌年に久蔵は亡くなってしまいます。
長谷川等伯は石川県七尾の生まれ。武家出身ながら染物屋に養子に出され、そこで絵の手ほどきを受け仏画を描いていました。養父母が亡くなってから絵師として成功したいと京都に出ます。そこで扇面絵師となった等伯が、狩野派と対立しながらも時間をかけ苦労や努力を重ね大成し、息子も立派な絵師となりました。
秀吉から命を受け二人揃って傑作を書き上げたすぐ後に息子を亡くしたのです。等伯の胸中はいかばかりだったでしょう。この障壁画を前にすると、いつも胸が熱くなります。
満開の桜の花びら一つひとつが胡粉を何度も塗り重ねて描かれている桜図ですが、もう、かなりその胡粉が剥がれ落ちています。満開の桜が散ってしまったかのような目の前にある『桜図』。久蔵の命が儚く散った様とどうしてもリンクしてしまいます。
10年ほど前に訪れた時に、御住職が同業御家族を案内されて収蔵庫にみえた時のこと。御住職が照明を落としました。すると、この『桜図』の桜がまるで夜桜のように暗い中にボーッと浮かび上がり、その幻想的な光景に息を呑みました。とてもとても美しかったです。
きっと、こんな風に夜桜に見えることも想定して胡粉を厚く塗ったのでしょうね、としか思えませんでした。そんなことを思い出しながら暫くぼーっと眺めていましたが、この時期だからこそ持てた時間だと思います。また良い想い出が一つ増えました。


< 清 水 寺 >
時間があったので、清水寺まで足を運びました。着いた頃は既に日が落ちる前。ちょっと駆け足になります。参道である産寧坂まで来ると、まだまだ人通りは少ないものの、ようやく観光地らしい雰囲気になりました。山門の前では何組もの人達が、修学旅行生の幾つものグループが、あちこちで記念撮影を楽しんでいます。


世界遺産に登録された清水寺は『清水の舞台』があまりにも有名です。本来は能や舞を仏様に奉納するための場所で、この舞台は本堂から突き出ていて、その高さ18mとか。

奥宮の方に何やら大勢の人が… 。

“夕焼けを背にした清水の舞台”を見てみたかったのです。そして、本堂と舞台を背景に記念撮影する撮影スポットが、奥宮なのです。

今日の天候では夕焼けは無理。そう思っていましたが、清水寺に着き西の空を見てニヤリとした私です。日が落ちてからの方が空が紅くなるのはわかっていながら、一人だったので暗くなる前にと、後ろ髪を引かれながらもこの場を後にしました。
それでも、大満足の、久しぶりの京都旅の一日目でした。